榎本メソッド小説講座

第13回:【榎本事務所スタッフの本を読まない休日】親子で推し活、できるといいな

2026.05.29

先日、とある漫画の原画展へと足を運びました。

 

会場は入場制限がありすぐには入れなかったため、指定された時間まで待機場所でぼんやりと過ごしていた時のことです。ふと、近くから賑やかな親子の会話が聞こえてきました。

 

「お母さん、なんで知らんの!? この子もこの子も、めっちゃ初期から出てたやんか!」

「だって、昨日アニメちょっと見ただけやし。そんなん急に覚えられんわ」

 

見渡せば、待機場所にいるのは私を含めて大人ばかり。親子連れはその2人だけだったので、つい興味を引かれてしまいました。チケットの番号順に立ち位置が決まっているため、避けることもできず、会話はそのまま私の耳へと流れ込んできます。

 

どうやら、小学生くらいの娘さんが作品の熱狂的なファンで、1人では来られないためお母さんに連れてきてもらった、という構図のようでした。

 

これが2人揃ってのファンなら微笑ましい光景ですが、お母さんの方はどうやら作品にまったく興味がない様子。娘さんが熱く語っても、適当に相槌を打つばかり。たまに言葉を返しても、あまりに的外れな内容なので、「違うって!」と娘さんがお冠になって訂正しています。

 

1人では来場が叶わず、温度差のあるお母さんを頼るしかなかった娘さん。それとも、せがまれるままに入場料を払い、貴重な休日に興味のないイベントに付き合わされているお母さん。果たしてどちらに同情すべきだろうか……と、私は心の中で勝手に葛藤してしまいました。

 

ふと思い返せば、私は小学生だった頃、どこかへ「1人で行きたい」と願ったことがありません。「家族」か「友達」と行くのが当たり前で、1人という選択肢自体が存在しなかったのです。

 

それは、私が周囲と違う嗜好を持っていなかったからかもしれません。親が買ってくれた本を読み、親が許したテレビ番組を観て、学校では友達と共通の話題で盛り上がる。当時はスマートフォンもなく、パソコンは父の持ち物で勝手に触ることができなかったので、自分から外部にアクセスして情報を得ることはできません(姉は父の不在時を狙って勝手にパソコンを触っていましたが、当時の私はなんだか怖くて真似できませんでした)。与えられた情報の範囲内に、常に「仲間」がいたのです。

 

親の知らない作品に子どもがハマり、その情熱を共有できないままイベント会場へ連れて行ってもらう。これは、スマートフォンやサブスクリプションが普及した現代ならではの光景かもしれません。

 

「自由で、多様な時代になったものだなあ」

 

そんな風に少しばかり感慨にふけりながら、ようやく順番が回ってきた展示室へと足を踏み入れました。

 

ところが、いざ原画を鑑賞し始めると、先ほどの親子がまた目の前に。 相変わらず熱弁を振るう娘さんに、お母さんが心底疲れ果てた様子でこう漏らしたのです。

 

「……全員同じ顔に見えるわ」

 

どうやら時代が変わっても、親子の間にある「理解の壁」は、なかなか変わらないようです。